物に魂を吹き込めば、偶然のような奇跡が起きる

リ・サイクリング

ずいぶん昔の話になりますが、私の会社の先輩、日本アドベンチャーサイクリストクラブ所蔵のIさんの海外自転車走行記を紹介します。。 彼は、忙しい仕事の合間をぬって休暇を取り、世界各国を自転車で走破している方です。(2004年1月時点で、世界5大陸33カ国を走破! 累積走行距離48,114km!)

以下の文は、Iさんの2002年正月の南アフリカの走行記です。 8日目の出来事を初めて読んだ時、衝撃を覚えました。

簡単に言うと、長期間走行中に自転車の部品が故障し、ついに動かなくなったその日の宿泊場所で、日本でも探すことのできなかった部品に出会うことができた、と言うお話です。

「なぜこのような不思議な偶然が怒ったんだろう?」と不思議に思うのですが、文章を読み進めるうちにその理由が何となくお分かりいただけるかと思います。では、体験記をどうぞ。

Africa[3] ナミビア&南アフリカ編

2002.01.07執筆
2003.09.02改

3便の国際線を乗継ぎ、砂漠の中の小さな空港、ナミビアのウィンドック国際空港に降り立つ。昨年9月はワールドトレードセンター(NY)崩壊事故の影響を受け、欧州-中東路線が全面ストップ。このため3日後に控えたレバノン・ツーリングを中止せざるを得ないハプニングに見舞われてしまった。だから今回の旅に寄せる期待はひときわ大きい。レンタカーを3日間借りナミビア中部を観光の後、南部のキートマンズフープへ夜行バスで移動。ここからアフリカ大陸南端の喜望峰(南ア)を目指すツーリングが、始まる。

1日目

昨日は深夜に長距離バスでこの町に到着後、宿の部屋で愛車を組み立てたため3時間少々しか寝られなかったが、小鳥のさえずりで気持ちよく目覚めた。屈伸ができない程の痛みが走る古傷の左膝が気になるが、飲料水2リットルを愛車に積載し南アフリカへ向け出発だ。朝は14℃という気温も太陽とともに急上昇する。大陸内部の独特の気候だ。暑さに加え意地の悪い?アップダウンと、台風並みの強い向かい風で前進もままならない。振りかぶる熱風が全身から水分を奪ってゆく。どこまで走ってもどんなに走っても、変わらない景色が続く。隣町までは途中にレストラン兼ロッジが一軒あるだけの、170kmのロングラン。「闘魂!闘魂!」と自分に言い聞かせ、月明かりを頼りに一軒宿へ到着したのは21時になる頃。日本なら楽勝で夕方までに到着する距離だ。到着してわかったが、この宿は4部屋しかない!一昨日、町で苦労して探し出した電話から予約を入れていたため泊まれたのか?走行初日だというのに無理がたたったのだろう、体は熱っぽく、夜中は嘔吐に見舞われた。(付記:熱射病と思われる)

2日目

夜中に何杯も飲んだ砂糖入紅茶が利いたのか、朝はスッキリと目覚めた。筋肉痛もない。出発。気温の上昇とともに向かい風が激しくなってくる。太陽とオレを遮るものは何も無い。今日は隣町まで145kmだが、その間村もなければ集落も売店も、もちろん自動販売機も無い。ほんの時折、だだっ広い牧場の彼方に一軒家がポツリと見えることがある。人は住んでいるのだろうか?生活臭は伝わってこない。手元の温度計は40℃に達しようとしている。午後、走行中に吐気がまた現れた。抑えながら必死に走るオレ。日本では毎日3~4時間の睡眠が続いていたが、休暇を取りはるばるやってきたここアフリカでこんな目に遭うとは! ザックを背負いながらも強風を切り裂こうと、かなりの前傾姿勢で長時間ハンドルを握るせいか、右腕がしびれ握力が全くなくなってしまった。気力で目的地まで走り抜く。宿ではワイングラスも持てず、ツメ切も使えず、歯磨きチューブのキャップすら開けられない。(付記:帰国後も2ヶ月程続いたこの症状はリュックサックローム(ザック肩紐の締め付けによる腕の神経の痺れ)および、親指の靭帯損傷(過度の押さえつけが原因)の併発と診断された。)

3日目

茶色い濁流のオレンジ川を渡り、待望の南アフリカへ入国。しかし20 km走行した地点で気分が悪くなり、道端に嘔吐してしまった。体はフラフラだった。2台のクルマをヒッチで乗り継ぎ、町へ運んでもらい、宿で一日休養を取る。

4日目

初日のロングラン後より胃腸の具合が悪く、最近は野菜と果物しか身体が受け付けず、それがパワー不足に繋がる悪循環が続いている。今朝も吐気がしたが短期決戦のこの旅、遅れを生じさせたくはない。そう考えてはいるがこの気候と地理に参り、今日は70kmの走行が限界だった。飲料水を補給しあと50km、と思ったが、小さなこの町では、なんとミネラル水が売られていなかった。

5日目

50kmの走行。既に計画より1日の遅れを生じてしまった。このペースが続けば帰国までに目的地へ辿り着けない、との不安から「ツーリングを止めてしまおうか?」と弱気の自分がチラついた。日焼けと乾燥のために切れた下唇から血が出てかさぶたができ、痛みがひどいために食事もろくに摂れない。出発地キートマンズフープから終着地まではUS$100程度の金を払えば、デラックスな急行バスがわずか12時間でオレを運んでくれるのに、オレは何のために自転車で移動するのだろう?いや、レバノンの雪辱を晴らすはずのこの旅、そう易々と止めてしまってはいけない!部屋の鏡に映った自分を見つめ「あしたのために」と何度も暗示をかけるようにつぶやいた。漫画のセリフで自分自身の心を奮い立たせようと。幸い、夕刻より体に復調の兆しが見え始める。

6日目

今日から早朝出発に切り替える。道中、1台のクルマから冷えたジュースの差し入れがあった。ありがたし!2人の息子を持つこの女性は南アの通信会社に勤務している。でもR&Dの充実している?○○社(Iさんの会社)のことを知らないとは。さりげなく名刺を渡しておく。

7日目

徐々に赤道から遠ざかり暑さも多少和らいできた。これより南はブドウ畑が散在するワインルート。鮮やかな緑も所々に見られる。午後、木陰で休んでいると悪ガキ3人組が加わった。彼らは隠し持っていた白ワインを飲ませてくれた。疲れた胃にジンとしみる。夕刻、偶然宿に居合わせた日本人夫婦から、これより先の道路事情を入手。この今村さんは国際協力事業団(JICA)に勤務する方だ。夕食をご馳走になり、南アでの活動状況なども伺うことができた。感謝!

8日目

新年。朝一番の峠を越えると、またもや猛烈な向かい風に悪戦苦闘。と、信じられないことに後の変速機が故障してしまった。ここまで850kmを走ったが、あと2日、わずか240kmを残すのみだ。この変速機(日本製)は18年も昔に製造されたもの。スペアを持っておこうと日本中の自転車店を探し廻った経験があるが、もやは同等品すら手に入らない、貴重な、大事なパーツなのだ。だから南アで探し出すのはまず不可能だ。

「これが壊れては、もう旅は続けられない」。呆然としながら、付近に宿 (B&B)を探し投宿。ここまで多くの苦しみと戦い、耐えて耐えて耐え抜き、諦めてはいけないと自分の気持ちを奮い立たせ、なんとかこの地点まで追い込んだ。だが自転車が壊れてしまっては、どうにもならない。ツーリングを打ち止めして祖国へ帰ろうか。いや、代わりの自転車を探して目的地を目指そうか。あまりに強烈な出来事に、この後一体どうすべきか、結論は見出せなかった。

ところが!信じられない奇跡が起こった!宿のオーナー、フランクは「自転車のどこがどう壊れたのか」と聞いてくる。10分後、彼はある中古品の変速機をオレの目の前に差出した。「これを使えないか」。それはなんと、オレの変速機の後継機種だった。彼の息子が学生時代に乗っていた自転車の部品だと言う。

しかしまだ難題はあった。変速機故障の原因は、日本からの空輸で愛車のフレームに歪みが生じたためだが、その修正や変速機取付けには、およそ一般家庭にはない特殊な工具が2,3必要なのだ。オレはまた頭をうなだれた。

しかし!元農夫のフランクは息子が持っていた特殊工具を探し出し、足りない工具は近所を尋ね廻り探し出してくれた!早速2人でフレームの修正に取り掛かり、変速機を取り付ける。

微調整も不要なほど、変速機はパーフェクトに取り付けられた。(付記:変速機故障は後輪をも変形させてしまい、この後、ホイールに無理な力が極力かからぬよう、十分な注意を払って愛車を走らせた)

9日目

「また南アに来たら是非寄ってね」。わずか一晩の滞在だったが、フランク&マーゴット夫妻は自分の子供のようにオレを可愛がってくれ、旅立つオレにいつまでも手を振ってくれていた。昼、ケープタウン着。さあ、終着地はもう、すぐだ。

10日目

10時04分、岩に砕けた波しぶきが強風に乗って青空をほのかに淡くする、念願の喜望峰(Cape of Good Hope)へ、1日遅れで到達。気候と地理といくつもの体調の悪化に苦しんだ旅は、終わった。フランクに遭わなければここに立つことはできなかった。ダンキー(ありがとう)、フランク!黒人も白人も皆、穏やかで優しい。オレはナミビアと南アフリカの両国がとても好きになった。

番外編

  • 成田空港では出国カードは廃止になっていた。サッカーW杯に向け、空港は恐ろしいほどキレイに変身。
  • キャセイ航空は、食後のチョコレートとコニャックの振る舞いなど機内サービスをかなり縮小していた。航空不況に加え、乗務員によるストの長期化では、致し方ないか?
  • 自転車で走るオレの姿を見て、トラックの運転手や村人は、クラクションを鳴らしたり手を振って励ましてくれた。「これまで世界5大陸25ヶ国、4万キロ以上を走破した」と彼らに伝えると、驚かない者はいなかった。
  • 海外から日本への通話は、○○社の「国際クレジットカード通話」が超便利だった。さすがだね!
  • 体調が今ひとつだったせいか味覚も本調子でなく、ワインをおいしく感じられなかった。それでも最終日はワイナリーツアーへ参加。白ワインは種類も豊富で200-300円程度が主流!

旅のデータ

  • 旅の期間   2001.12.21-2002.01.06(走行は2001.12.25-2002.01.03)
  • 走行距離    1,091km
  • 累積走行距離 44,184km(世界5大陸27カ国、うちアフリカは6カ国
    ★世界30カ国へあと3カ国、世界5大陸の走行3回目完了へ、あと2大陸!

いかがでしょうか?読んでいると、Iさんの海外自転車走破にかける 熱い思いがひしひしと伝わってきませんか?

Iさんが、

  • 自転車走破にかける純粋で熱い思い(生きがい)
  • 自転車を大切に使おうとする強い思い(物への愛着心)

を常に持っていたからこそ、必要な時に必要な物が手に入った! しかも、神様はこれ以上ない最高のシチュエーションで演出してくれた! そう信じたくなるような素敵な出来事だと思いませんか? (当のIさんは、自転車が壊れてそれどころじゃなかったとは思いますが。^_^;)

世の中の人、一人一人が、、、

  • 生きがいを持って
  • (生きがいに関係する)物に愛着を持てば

必要な時に必要な物が誰かからきっと与えられる! そして、お互いが与え合うことで、知らない人同士の信頼感が芽生え、 世の中がより良くなっていく!

リ・サイクリングの究極の姿がこの体験記に描かれているように思うのです。

千葉県内のバイクショップに大切に飾られている、初期のロードバイク。高級パーツであるDURA-ACEの存在が貴重。
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